街中クリスマスの飾りでいっぱいですが、
クリスマスって、お祭り騒ぎからは一番遠い話なのです。
お話では、貧しい大工の夫婦が、身重なのにどこの宿屋からも断られ、
泊まるところがなく馬屋で出産し、その土地では見向きもされない羊飼いと
通りかかった異国の学者にお祝いされた。。ということですから、
お祭り騒ぎとな無縁なのがおわかりでしょ?
今世界の人口は70億人、そのうち8~10億人は飢えに苦しんでおります。
震災で被災したり、年末の解雇にあった方も多いでしょう。
もちろん、多かれ少なかれ人は悩みを抱えていますよね。
だからこそ、お祭り騒ぎは無縁なのですが。。。
こういうことを日常から離れて考えるのがクリスマスなのかもしれません。
2011年12月24日土曜日
2011年11月25日金曜日
パケナムさん
感想を書くには難しい本で、政治体制から天皇制まで語らなければ
いけなくなりそうなのでやめておくが、2点だけ。
1.今になって60年前のことを調べたいとした時、日本を含めた先進諸国は
その門を大きく開けて閲覧、copyなどさせてくれるんだ、ということに感動した。
2.人一人が国を動かすことが多々あることは知っているが、それは英雄だったり、
王様だったりすることが多い。
ところが、このパケナムさんは、普通の人だ。
彼が、何を好き好んで日本とアメリカを大きく動かすことに協力したのか、
等身大の人が語る戦後を知る、第1級の資料だと思う。
この本は図書館で借りた本ですが、手元にも置いて追う一度読み返したいと
考えている。
2011年11月1日火曜日
2011年10月20日木曜日
日本製のリュックサック
半年ほど前、デパートのエレベーターでこのリュックサックを
担いでいる若いママさんを見かけた。
小さなお子さんを連れていて、リュックサックのラベルを盗み見ようと思っても
ママさんはよく動くので、なかなか見ることができない。。。
かろうじて、MASTER P××× を読むことができた。
家に帰って、早速web検索をしてみたところ、
MASTER PIECE というバッグのブランドであることがわかった。
その日から半年・・・やっとshopに行ってwebで気になったリュックを背負い
倒すこと90分。
やっと購入したMASTER PIECEはコレ!
このバッグやさんは、日本製にこだわった手作りのオリジナルブランド
なんだそうで、筆者も日本製にこだわっていたので、とても良い出会いであった。
筆者のリュックは避難用でもあるので物が入りすぎてコロンコロンしているが、
お店ではこんな感じ。
そしてラベルは
2011年10月7日金曜日
ハオチェン・チャン 张昊辰 ピアノリサイタル
東京文化会館でなら4500円かかるところを、武蔵野文化会館のお陰で
1800円で聴くことができた、「ハオチェン・チャン 张昊辰」のピアノ。
天才の名をほしいままにした期待通りのピアノ・・・といいたいこころだが、
生での演奏は、技巧と感情ばかりに頼った味気ないものだった。
周りの聴衆は、さすが天才ね~と感動していたし、若いのにスゴイ!と
わが子を見るように目を細めてうっとり聴き入るおば様方がたくさんいたが、
音が濁っていることと、テンポをとるのに床を踏み鳴らす音には
そうね、若いからね。。。というしか理解のしようがなかった。
思い出したのは、アレクセイ・スルタノフの技巧。
だが、スルタノフには彼独自の音があった。
若いはずのハオチェン・チャン、もう出来上がった大巨匠のような演奏だったが、
目をつむって聴いてみても、彼自身の音は聴こえてこなかった。
04年のころはもっときれいな音を出していたのに。。。
李雲迪の師匠だった但昭義氏を離れて10年、現在はカーティスで、郎朗の
かつての師匠ゲイリー・グラフマンに師事しているとのこと。
そのせいなのか、郎朗の演奏を聴いているようだった。
1800円で聴くことができた、「ハオチェン・チャン 张昊辰」のピアノ。
天才の名をほしいままにした期待通りのピアノ・・・といいたいこころだが、
生での演奏は、技巧と感情ばかりに頼った味気ないものだった。
周りの聴衆は、さすが天才ね~と感動していたし、若いのにスゴイ!と
わが子を見るように目を細めてうっとり聴き入るおば様方がたくさんいたが、
音が濁っていることと、テンポをとるのに床を踏み鳴らす音には
そうね、若いからね。。。というしか理解のしようがなかった。
思い出したのは、アレクセイ・スルタノフの技巧。
だが、スルタノフには彼独自の音があった。
若いはずのハオチェン・チャン、もう出来上がった大巨匠のような演奏だったが、
目をつむって聴いてみても、彼自身の音は聴こえてこなかった。
04年のころはもっときれいな音を出していたのに。。。
李雲迪の師匠だった但昭義氏を離れて10年、現在はカーティスで、郎朗の
かつての師匠ゲイリー・グラフマンに師事しているとのこと。
そのせいなのか、郎朗の演奏を聴いているようだった。
2011年10月1日土曜日
最近購入した レアもの
2011年9月16日金曜日
2011年8月19日金曜日
2011年8月9日火曜日
2011年7月20日水曜日
2011年6月16日木曜日
2011年5月27日金曜日
2011年5月23日月曜日
2011年5月17日火曜日
那覇 旅行
2011年5月16日月曜日
本紹介 2 中国もの
中国関連の本を読み漁って思うのは、次から次へと新しい著者が出てくること。
みなさん、中国を体験してしまうと何かを言いたくなるらしい。。。
1年ほど前、レスリー・T・チャン著の「Factory Girls」を読んだ。
日本語版はこちら
そして今、ピーター・ヘスラー著の「疾走中国」を読んでいる。
ふむふむ、筆者は中国ものが好きなのね。。。で片づけられてしまいそうだけど・・・
偶然読んでいるこの本の著者ヘスラー氏の奥さんが前述チャン氏と知って
えええ!そうなの?と驚いたのもつかの間、翻訳家の栗原泉氏
筆者はこの人の別の翻訳本を読んだことがあることを思い出した!
それが、この本
筆者の専門である中世ヨーロッパの本を訳しつつ、
現代中国ものまで手をつけているなんて栗原氏とはどんな人なんだろう??
会ってみたくなるなぁ
みなさん、中国を体験してしまうと何かを言いたくなるらしい。。。
1年ほど前、レスリー・T・チャン著の「Factory Girls」を読んだ。
日本語版はこちら
そして今、ピーター・ヘスラー著の「疾走中国」を読んでいる。
ふむふむ、筆者は中国ものが好きなのね。。。で片づけられてしまいそうだけど・・・
偶然読んでいるこの本の著者ヘスラー氏の奥さんが前述チャン氏と知って
えええ!そうなの?と驚いたのもつかの間、翻訳家の栗原泉氏
筆者はこの人の別の翻訳本を読んだことがあることを思い出した!
それが、この本
筆者の専門である中世ヨーロッパの本を訳しつつ、
現代中国ものまで手をつけているなんて栗原氏とはどんな人なんだろう??
会ってみたくなるなぁ
2011年4月21日木曜日
明治の人の本 3冊
BLOGを続けるのは難しい。。。と思いつつ訪ねたナデシコさんのBLOGは
毎日更新のすばらしいもの!頭が下がります。ペコ
ナデシコさんのBLOGを見ていて、そうか!本の紹介ならできるかも・・・
と気を取り直し、最近読んだ、明治の人3人を紹介します。
初めはこの人、柴 五郎氏。 出身は会津藩。
この本を書いた石光真人つながりで、石光氏のお父さんの手記を図書館で発見。
それが、この分厚い本。
そして最後は最近出版の
石光真清の手記の中に、彼の乳母が、「谷干城みたいに偉くなってくださいね」
という場面もあり、明治の人のつながりっておもしろいと思った。
石光真清氏は肥後熊本の人。谷干城氏は土佐の人。
この方々は薩長に生まれてないが、軍人として成功した人。
本は、どこかで聞いてきた話ではなく体験してきた話ばかり。
教科書で習ったことと違うことが載っていたりして
違う角度から歴史を眺めることができる本です。
毎日更新のすばらしいもの!頭が下がります。ペコ
ナデシコさんのBLOGを見ていて、そうか!本の紹介ならできるかも・・・
と気を取り直し、最近読んだ、明治の人3人を紹介します。
初めはこの人、柴 五郎氏。 出身は会津藩。
この本を書いた石光真人つながりで、石光氏のお父さんの手記を図書館で発見。
それが、この分厚い本。
そして最後は最近出版の
石光真清の手記の中に、彼の乳母が、「谷干城みたいに偉くなってくださいね」
という場面もあり、明治の人のつながりっておもしろいと思った。
石光真清氏は肥後熊本の人。谷干城氏は土佐の人。
この方々は薩長に生まれてないが、軍人として成功した人。
本は、どこかで聞いてきた話ではなく体験してきた話ばかり。
教科書で習ったことと違うことが載っていたりして
違う角度から歴史を眺めることができる本です。
2011年4月6日水曜日
2011.03.11
あの日はラジオをつけていると、
「緊急地震速報です。東北地方に大きな地震が・・・」
と聞こえてきました。
20秒ほどの時差の後、東京も大きく長く揺れました。
「まだ揺れている・・・長いな」と思いました。
それから何回も大小の揺れがやってきました。
夜になり、仕事を終えて帰るころには、道路には車、歩道には人。
電車が動いていないことは、この様子ですぐにわかりました。
通常、電車が動いている時間に駅が閉鎖しているのを初めてみました。
途中トイレ休憩で立ち寄った「玉川高島屋」では、乾パンをいただきました。
結局、5時間余りかけて徒歩で帰宅。
日ごろの運動不足、当たり前だと思っていた恵まれている出来事、
そんなことを考える良い機会でした。
「緊急地震速報です。東北地方に大きな地震が・・・」
と聞こえてきました。
20秒ほどの時差の後、東京も大きく長く揺れました。
「まだ揺れている・・・長いな」と思いました。
それから何回も大小の揺れがやってきました。
夜になり、仕事を終えて帰るころには、道路には車、歩道には人。
電車が動いていないことは、この様子ですぐにわかりました。
通常、電車が動いている時間に駅が閉鎖しているのを初めてみました。
途中トイレ休憩で立ち寄った「玉川高島屋」では、乾パンをいただきました。
結局、5時間余りかけて徒歩で帰宅。
日ごろの運動不足、当たり前だと思っていた恵まれている出来事、
そんなことを考える良い機会でした。
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