前回の続き『戦争のはじまり』を書こうと思いましたが、
この話題は、とても重い。。。。
また、美味しいものに逃げます。
五目焼きそば by 揚州飯店 
とは言え、やはり逃げて通れない話題なので続きを書きましょう。
お辞儀をする習慣に疑問を覚える人は、日本の中にもたくさんいると思います。
では、なぜ、お辞儀が受け入れがたいものになっているのでしょうか?
お辞儀が、言葉やほかの動作と同じように自然に出てくるものなら、好きも
嫌いもないでしょうが、誰かに強要されたものなら、嫌いにもなるかもしれません。
お辞儀に限らず、長く日本にある習慣だったにしても、強要されてまで続ける意味
のある習慣があるとは、私は思えません。
前述の友人は、日本国内ではなく中国で、日本企業と仕事をすることになりました。
ここは意見の分かれるところかもしれませんが、中国企業は、日本企業と仕事をする
のなら、日本の習慣を知っておくべきだったのでしょうか?
それとも、中国で仕事をする日本企業が、中国が嫌う日本の習慣を知っておくべき
たったのでしょうか?
この問題は、たんにお辞儀だけの話ではないのです。
人は、相手が自分に合わせてくれると過信しすぎだと思います。
まずは、もっとお互いの違いを分かり合うべきだと、思います。
これは、国単位の話というよりも、個々人の、今となりにいる人の話と一緒です。
何もお互いのことを知らないままで、もし言葉や動作が武器になったとしたら、
すぐに戦争が始まってもおかしくないでしょう。
世界の人々との距離が近くなっている今、どこからが隣の人との戦争のはじまりか、
を考えるときがきていると、私は思います。
これでも、答えにはなっていませんね。
ベールにくるんで話をしていますから。自分への反省も多々ありますし。
もっとよく考えて、また機会がある時に、続きを書きます。